京都 任天堂社屋巡り

京都といえば古都の旅であるが、それに加えて任天堂ファンだけの小さな旅もある。創業から百年を超える老舗企業でありながら今も業界を率いる世界的有名企業、任天堂の歴史を歴代の社屋を眺めて味わうのである。

歴代社屋の位置

任天堂の歴代社屋は京都駅周辺にあり、徒歩でも1時間程度あれば巡れるだろう。交通網(近鉄京都線、JR奈良線、京阪本線)を使えば、より短縮できる。

注意事項

任天堂のウェブサイトに記載がある通り、社屋は観光地ではなく企業活動の拠点のため見学不可である。また初代本社は丸福楼という宿泊施設になっているため予約なしには入れない。社屋を巡る際には、くれぐれも任天堂や近隣住民の迷惑とならないよう努めていただきたい。また写真撮影の際には自動車等の往来に充分注意し、事故のないようにされたい。

初代本社 (別名「山内任天堂」 現「丸福楼」)

(撮影:2013年1月)

京都駅から徒歩17分。または京阪本線の七条駅から徒歩6分。所在地は「丸福楼」公式サイトの住所表記によれば「京都市 下京区(しもぎょうく) 正面通(しょうめんどおり) 加茂川(かもがわ) 西入(にしいる) 鍵屋町(かぎやちょう)342番地」。「正面通 加茂川 西入」は、正面通りと加茂川(鴨川)の交差点を西に進んだ所という意味。同じ町名が複数ある京都ならではの通り名表記である。同じ場所だが「正面通 木屋町 東入る」(正面通りと木屋町通りの交差点を東に進む)という別の表記方法もある。

(撮影:2013年1月)
(撮影:2013年1月)

玄関には左右にプレートがあり、所在地の表記は「京都正面大橋西」、英字表記のプレートでは「SHOMEN-DORI OHASHI, KYOTO, JAPAN.」とあり、当地のすぐ東の鴨川に掛かる正面橋が正面大橋もしくは正面通りの大橋と呼ばれていたことを思わせる。

[2022年追記] この初代本社は2022年4月1日に、丸福樓(まるふくろう)というホテルになってリニューアルオープンした。安藤忠雄氏の設計により、元の建物を生かしつつ現代的な改築が行われた、高級ホテルである。任天堂を創業した山内家がこの建物を活用し、任天堂のルーツである「丸福」の名を現代に蘇らせたのだ。任天堂ファンが楽しめる要素もちりばめられているようなので、一度は行ってみたいものである。

2代目本社 (現在は京都リサーチセンター)

(撮影:2013年1月)

所在地は「京都市 東山区(ひがしやまく) 福稲上(ふくいねかみ) 高松町(たかまつちょう)60番地」。最寄り駅は京阪本線 鳥羽街道駅。住宅が並ぶ奥まった所にあり、その横の鉄道と地下道が相まって、なんとも不思議な感覚に満ちた場所である。ファミコンなど任天堂の名を世に広く知らしめた製品が数多くここで開発されたものと思われる。

(撮影:2013年1月)

出入り口のある塀の端には「1954 任天堂骨牌株式会社」の石碑が埋め込まれている。

(撮影:2013年1月)

以前(2013年時点)は敷地の左側にある細い道を回り込むと、漢字で書かれた任天堂ロゴの看板を見ることができた。現在は看板を掲げた建物自体が無くなっている。

[2022年追記] 2022年時点にGoogleマップを確認したところ、2代目本社の敷地内 西側にあり「任天堂」ロゴの看板を掲げていた建物が消えていて、駐車場になっている。ストリートビューの履歴を辿ると、2018年4月時点で建物は既に消えており、2020年11月時点ではブロック塀が金属とコンクリの現代的な塀に変わっている。

3代目本社 (現在の本社)

(撮影:2013年1月)

所在地は「京都市 南区(みなみく) 上鳥羽(かみとば) 鉾立町(ほこたてちょう)11番地1」。最寄り駅は地下鉄烏丸線 十条駅。久世橋通と2本の道が交差する巨大な交差点に面しており、すぐ見つけられるだろう。2000年~2010年代にかけてニンテンドー3DSなどの製品がここで開発されていたものと思われる。

(撮影:2014年1月)

付近からは隠れて見えない少し小さな上階がある。以前(2013年時点)は少し離れると漢字表記の「任天堂」の看板を見ることができた。この看板は、Googleストリートビューで確認したところ2014年4月まではあったが2015年5月には無くなっている。

2014年当時の任天堂はウェブサイトや製品パッケージがまるで米国アップル社を思い起こさせるものだったが、その白く質素で清潔な印象がこの現本社の外観からも感じられる。

本社開発棟

(撮影:2014年1月)

2014年初頭、本社の近くに本社開発棟が完成した。規則正しく並ぶ窓ガラスが印象的だ。

本社第二開発棟 (建設予定)

2022年4月、現在の本社に隣接する土地を任天堂が新たに取得した。「本社第二開発棟」が建てられるそうだ。2025年1月時点では囲いが確認できたのみで、建造の様子は覗えなかった。