64DDを使ったネットワークサービス「ランドネット」と、それを運営した会社「ランドネットDD」の顛末を記述する。
「なかなか発売されない64DDが、ついに世に出るらしい。しかし、64DDを手に入れるためには、会員にならなくてならないらしい。」
「64DD」を待ち望んでいた人々は、困惑しながらも、ランドネットDDを見ていく。しかし業界関係者は、「すでに生産してしまった「64DD」を処理するために設立されたのだろう」と見ていた。
1999年6月11日、任天堂とリクルートによって「新規事業開始」が発表された。そして30日、任天堂とリクルートの合弁会社「ランドネットDD」が設立された。「TVモニタと家庭用ゲーム機を使った会員制ネットワーク事業」、つまりNINTENDO64とその周辺機器「64DD」を使った、会員制ネットワークサービスの運営のためであった。当初、このサービスの仮称は「エンターネットサービス」であったが、サービス開始前になって「ランドネット」に正式名称が決定した。「ランドネット」、つまり「Randnet」という名前は、リクルート(RECRUIT)と(and)任天堂(Nintendo)のネット(net)、という意味で作られた造語である。
この事業開始に当たって、大容量の書き換え可能領域を持つディスクを売りとしていた「64DD」が、ネットワーク端末としての扱いになっていたことは、忘れてはならない。
1999年8月に行われた任天堂の製品展示会「NINTENDO SPACEWORLD'99」では、ランドネットDDが会場の一画に展示場所を構えた。そこでは、64DDソフトがプレイ可能な状態で出展され、多くの人々の関心を集めていた。そこに構えられた特設舞台では、『巨人のドシン1』の開発者が出演したり、「マリオアーティスト」シリーズのソフトの実演が行われていた。
ランドネットDDの展示場所に設置された「巨人のドシン」の非常に大きなバルーンは、会場の何処からでも目立つものであった。また、会場の巨大スクリーンには、時折ランドネットのサービスを説明する映像と音声が流れていた。
ランドネットDDが、展示会での展示の次に行なったのは、テレビと雑誌を使った広告展開であった。
ランドネットのテレビCMは、当時、深夜に放映されていたゲーム番組「ゲームWAVE」の時に見ることが出来た。むしろ、その番組の時にしか見ることが出来なかった。あまり広告費用を掛けられなかったことの現れであろう。なお、このテレビCMは、ランドネットを主に紹介するものと、『マリオアーティスト タレントスタジオ』を主に紹介するものの2種類があった。放送は1999年の11月ごろである。
同じ頃(1999年11月)、ゲーム情報雑誌にランドネットの広告が掲載された。最初は、見開きで『巨人のドシン1』の広告とランドネットのサービスの説明が1つのセットになっているものが掲載された。具体的な入会方法が決定すると、見開きが連続し4ページに渡って構成されたものが掲載された。
地道な広報活動を行うランドネットDDは、ついに会員募集を開始する。しかしそれは、波乱にとんでいた。まるで入会を拒むかのような、多くの制限のついた入会方法に、入会を望んでいた人々は困惑することになる。そして、より多くの会員をつかもうとするランドネットDDは、あわてて別の入会方法を提示する。しかし時はすでに遅かった。入会者数は最初の時期をピークに、極端に落ち込んでいった。
1999年11月11日、ランドネットの「第一次会員募集」の受付が開始された。当初の申し込み方法は3つ用意されていた。
しかし、この時点では、入会にクレジットカードが必要であった。クレジットカードを持たない子供は、親に頼み込むしか入会方法がなかったのである。その状況を見たランドネットは、会員募集が始まってすぐ後に、銀行と郵便局での口座引き落としを可能にした。だが、この方法で申し込むと、商品が届くのが2000年の春になるとのことであった。この頃、ゲーム雑誌には、以下の広告が掲載された。
なお、この時点で用意されたいずれの方法も、会費の一括払いは出来なかった。
当初の予定では、1999年12月1日にネットワークサービスが開始される予定であった。しかし、64DDでランドネットサービスを利用するための『ランドネットディスク』の「不具合」により、ネットワークサービスの開始が、2000年2月に延期された。
そして「ランドネット スタータキット」は『ランドネットディスク』を抜いた形で、12月に配布された。ネットワークサービスが始まるまでの間、会員は64DD用のゲームソフト2本(『巨人のドシン1』と『マリオアーティスト ペイントスタジオ』)で遊ぶだけの状態となった。
1999年12月17日、突如、一部店頭での会員募集の受け付け(「ランドネット スタータキット」の販売)が開始された。この方法に限り、会員費の一括払いが可能であった。銀行や郵便での口座引き落とし方法で申し込んだ人が怒るのは、当然であった。
この頃、店頭で入手することが出来たチラシは、A4サイズ1枚。表には「64DD」とその関連製品の説明が、裏にはランドネットのサービスの説明が載っていた。
またこれと同時に、第一次会員募集での「店頭での資料配布」と「Loppiでの受付」以外の入会方法の締め切りが、当初の2000年1月11日から、3月末日まで延長された。しかし、4月になっても会員募集は締め切られず、いつのまにか10月末にまで延期された。
ちなみにこれらは「第一次会員募集」だが、この10月末の締め切りを最後に、第二次会員募集などが行われることは無く、そのままランドネットは終了へ向かっていったのである。
2000年2月24日、ランドネットのネットワークサービスが開始された。会員用サービスは、「www.randnet.ne.jp」ドメイン上で提供された。このときは、まだいくつものコンテンツが未稼働の状態であった。
ちなみに、ランドネットのサーバやシステムは、IBMによって構築された。サーバやネットワークの保守管理も、IBMが受託していた。
ランドネットのサービス開始当初、アクセスポイントは東京の銀座(03地域)にしかなかった。ランドネットを利用するには、ランドネットDDによって設置された専用アクセスポイントに接続するしか方法が無かったため、ランドネットに接続した会員の数は、あまり多くなかった。
2000年の7月から8月にかけて、各地にアクセスポイントが増設された(札幌・浦和・神戸・京都・船橋・福岡・横浜・名古屋・大阪)。ネットワークサービスの開始から、実に4ヶ月以上も経った後の増設であった。そして、ランドネットそのものの存続にも危機感があったためか、結局設置されたアクセスポイントは、計10箇所にとどまった。
ランドネットDDは、教育現場へ参加していた。当時の「ファミ通.com」(2000年4月20日付)は、以下のように伝えている。
小学校の授業で実践的に使えるデジタルメディアを検証するための研究会「神奈川教育メディア研究会」が2000年4月より発足した。
この研究会には、ニンテンドウ64と64DDを使ったネットサービスを運営しているランドネットディディが参加しており、2000年4月から2001年3月まで神奈川県のいくつかの小学校で、実際にテレビゲーム機を使った指導を行なっていく。
各参加校では、授業やクラブ活動などのカリキュラムに、ニンテンドウ64と64DDを導入。ゲームとネットワークの両方の機能を使って、教育効果や課題について検証していく。
導入されるゲームソフトで現在決まっているのは、マリオアーティストシリーズの「ペイントスタジオ」「タレントスタジオ」「ポリゴンスタジオ」。いずれも教材として、さまざまな使い方を模索していく予定。今後も何本かのゲームソフトが候補に挙がっている。
この件に関しては、これ以後情報は無く、実際にどのようなことが行われたかは、まったく不明である。
2000年10月、ランドネットへの入会申込みを10月末で“一時停止”する、とランドネットが発表した。そしてその後の展開についての発表を近日中に行う、とした。ユーザーはランドネットの新展開に期待したが、実際にはこれで入会申込みは締め切りになり、サービスは停止へと向かって行った。余談、この10月に入会申込みをした人は、結果的に2500〜3000円でランドネットのセット一式を入手することが出来た。なんとも羨ましい話である。
波乱にとんだ幕開けであったランドネット。しかし、ランドネットは、あっという間に終了することとなる。
2000年11月22日、会員にランドネットから封筒が配布された。その封筒には、「ランドネットディディからの大切なお知らせです。必ずご開封ください。」と印刷されており、中には「送付書」「サービス終了のお知らせとお詫び」「ランドネット 2000年12月以降のサービスのご案内」の3枚の書類が入っていた。
これと同時に、会員の各メールアドレス宛てにも、終了を伝えるメールが送信された。ランドネットのニュースコンテンツには、終了に向けての手続きを行える項目が設置され、封筒に入っていた書類とほぼ同内容のことが書かれた内容を確認できたり、店頭販売で購入した会員への返金のための手続きや、2001年5月末までの転送メールアドレスの設定を行えるようになっていた。
終了通告が出まわってすぐ、ランドネットDDのウェブサイト(www.randnetdd.co.jp)は、サービス終了を知らせるだけのものになっていた。
ついにランドネットが終わることが決定したのだ。ランドネットのそれまでの状況からして、ランドネットの行き先が闇に包まれていることは、会員の誰もがわかっていた。だがそれでも、会員は困惑の色を隠せないでいた。――「やっぱりこうなったか」「いくらなんでも早すぎる」「ゼルダDDはどうなったのか」――様々な叫びにも似た言葉が、いくつもの掲示板で書き込まれた。
インターネットのゲーム関連ニュースサイトでは、ランドネットの終わりを告げるニュースが掲載された。このとき任天堂の広報は、「ネット対応携帯電話の予想以上の普及などで会員数が伸びなかったのではないか」と、他人事のようなコメントを残した。
ランドネットは、残り3ヶ月のネットワークサービスとなった。様々なコンテンツが終わっていく度に、ランドネットが終わりに向かっているということを、会員は再認識させられた。
確かに、利用できるサービスやコンテンツは、あまりにも少な過ぎた。コンテンツとはいえ、ただのCGI系ゲームであって、別段「64DD」を使う必要は全く無いものばかりであったのが事実だ。ただ、64DDで初めて「ネットワーク」の世界に触れた会員にとっては、ランドネットという「場」を失うことは、とても苦しいことだった。
ランドネットの1コンテンツ「ネットスタジオ」を利用していた者は、ディスクいっぱいに作品をダウンロードする衝動に駆られた。「マリオアーティスト」シリーズを使って作られ「ネットスタジオ」にアップロードされた数々の作品が、一瞬にして消え失せるのだから。
ランドネットの会報誌のようなコンテンツ「ランドネットFAN」の最後の更新を見て、ランドネットが間もなく終わるのだということを、痛感させられるのであった。
2001年2月28日、ランドネットの最後を見届けるべく23時45分頃に、ランドネットに接続した。ランドネットで唯一掲示板として残されていた「ネットスタジオ掲示板」を、しばらく閲覧していると、3月1日0時を過ぎた。だがその時点では、まだ掲示板への書きこみも出来たし、読むことも出来た。しかし、この0時を境に、ダイヤルアップが出来なくなっていたらしい。つまり、0時過ぎにランドネットのコンテンツを見ることが出来ていたのは、0時前に接続した会員だけだったのである。
0時以降は、ランドネット以外のサーバー(一般のウェブサイトなど)を閲覧することは出来なくなっており、「エラー403 フィルター処理ルール 'Unnamed Rule' によってブロックされています。」と表示されるのみとなった。しかしこのページには他に「IBM Web Traffic Express(W) 2.0.1.0」と書かれたリンクが張られていた。試しにクリックすると、「Goodbye」というページタイトルのページが表示され、アニメーションGIF画像によって転々とカタカナが表示された。それは、ランドネットからの最後のメッセージであった。
コレデオシマイ サイゴマデ アリガトウ
ミンナノオウエン ホントウレシカッタ
モウツナガラナイノハ サビシイヨ・・・
デモ オオクノナカマト ツナガッタネ
マタドコカデアエルサ キット・・・カナラズ・・・
これらの文字が表示されると、最後に「ランドネットマーク」のウインクを拝むことが出来た。ウインクした「ランドネットマーク」は、この時だけ拝むことが出来た、最初で最後のものであった。
そして1時半頃、ついに何度「再読み込み」しても白いページが表示されるだけの状態となり、しかたなく接続を切った。試しにもう1度接続を試みたのだが、「このディスクではアクセスできません ご不明なときはランドネットメンバーディスクにお問い合わせください エラー理由:メンバー無効
」と書かれたウインドウが表示されるだけで、やはり接続できなかった。
これが、ランドネットと会員の別れであった。
ランドネットが終了してから3ヶ月が経とうとしていた頃(2001年5月24日)、転送サービスの終了を通告する以下のメールが、「desk@dd.randnet.ne.jp」(以下・送信元)からサービス利用者のもとへ送信された。転送サービスとは、ランドネットのサービス終了が決まった頃、ランドネットで作ったメールアドレスに送信されたメールを、他のメールアドレスへ転送するために用意されていたサービスである。
ランドネットでは予めお知らせした通り受信メールの転送を5月31日までとさせて頂きます。以降のメールはエラーとなりますのでご注意ください。
なお、携帯メールご利用の方もあり、要件のみのお知らせとさせて頂きました。
ランドネットディディ(0570-051064)
ところが、このメールは、サービスを利用していない会員どころか、ランドネットすら知らない人にまで送信されてしまったようである。しかも送信元に抗議メールを送ると、そのメールが送信元から多くの見知らぬユーザーに送信されるという状況に。さらに、見知らぬメールアドレスが大量に書かれたメールまで送信元から送信された。
翌日、送信元からお詫びのメールが送信された。
昨日発信された転送メール終了のお知らせから、皆様に不要なメールが送信される障害が発生いたしました。メール配信システム設定の不手際から発生したものでございます。大変申し訳なく考えており、皆様に心よりお詫び申し上げます。
尚、皆様のメールアドレスなど個人情報の漏洩はございませんのでご安心ください。
お詫びのメールには個人情報の漏洩は無いと記載されているが、前述の通り、アドレスは漏洩していた。ランドネットは、サービスが終了してもトラブルメーカーであった。
2001年6月、ランドネットDDは、ひっそりと、この世から消滅した。社員はそれぞれ任天堂やリクルートに帰っていったらしい(ちなみに、社員は15人だったようである)。会員は、64DDを遊びつづける者、ネットオークションで64DDを譲り渡す者、64DDの存在があったことをかたくなに守り通そうとする者、新しいゲーム機「ニンテンドーゲームキューブ」に想いを馳せる者など、様々だった。
配布されずに残った多くの「64DD」本体は、ランドネットに全てを託した任天堂が再販売することもできず、解体され、分別回収されたらしい。これが、大きな夢の結末だ。
たったひとつの、大きな夢を抱えた、15000人の小さいネットワークサービスは、こうして幕を閉じたのである。
ランドネットの終了通告時、会員数は15000人であると発表された。しかし、実際は10500人強だったようだ。うち、200人は、リクルートの進学ネット会員へのDDの貸し出し、イマジニアのDD無料提供など、ランドネット社内で「無料会員」と呼ばれる会員であった。