ゲームが変わる 64DDが変える

任天堂にとって64DDとは何だったのか。

64DDの特長と実際の活用

大容量の書き換え

64DDディスクの容量は約64メガバイトであり、640メガバイトの容量があるプレイステーション用CD-ROMの僅か1割しかない。またNINTENDO64発売当時は僅か8メガバイトだったカセットの容量も、2年後には32メガバイトに増えた。しかし64DDディスクは、約64メガバイトのうち最大で約38メガバイトを書き換え可能領域に出来る。書き換え可能領域だけを見れば、コントローラパックが32キロバイト、プレイステーションのメモリーカードが128キロバイトだった当時としては、桁違いの大容量である。

大容量の書き換えは、即ち大容量のセーブ領域を意味する。これにより、同じゲームソフトでも遊ぶプレイヤーによって作り出された全く異なる状況や結果を保存できる。『ゼルダの伝説DD』(後の「時のオカリナ」)ではフィールドで刈り取った草のひとつひとつまで記録することが構想されていたし、『巨人のドシン1』では店頭で2つのうち片方の内容だけを選んで書き換える「ブラック&ホワイト構想」と称する構想もあった。

しかし実際には、殆どの構想が実現しなかった。大容量の書き換え能力は「マリオアーティスト」シリーズのように作品を多数保存することや、『巨人のドシン1』のように巨大なマップを保存するといった用途に使われただけであった。また、カセットで発売された『どうぶつの森』シリーズを見ればわかるように、プレイヤーごとの異なる状況を保存するのに、それほど大きな容量も必要なかったのが現実である。

時計機能

64DDには時計機能が内蔵されている。ここでいう時計機能とは、ゲームソフトが利用する機能としての時計機能である。育成シミュレーションとして開発されていたらしい『キャベツ』では、この時計機能によって、電源を入れていない間でも生物が育っているような見せ方を構想していた。

実際に配布および販売された『巨人のドシン1』では、電源を入れていない間に実時間で数時間分ほどではあるが、内容の状況が変化するようになっている。しかし他のソフトでは専ら、作品を保存した時刻を表示する程度の使われ方しかしていない。

余談だがプログラムとしては、電源を切っている間にはデータを変化させていない。そもそも電源が入っていないのだから、データを変化させられない。実際は起動時に、前回の終了時に記録した時刻との時間差を計算してデータを処理することで、あたかも電源の切れている間に状況が変化したように見せるのである。

磁気ディスクの安さ

64DDディスクは、製造費用がカセットよりも安いとされた磁気ディスクである。磁気ディスクは、一般的に用いられるパソコン用の媒体としても安い部類のものである。つまり64DDによって、カセットと比べてソフトを安く販売することが想定されていた。実際に販売された64DDソフトも、ランドネットでの通信販売という特殊な状況とはいえ、6800円が相場だったカセットと比べると格段に安かった。

64DDと製品群構想

製品群構想とは、NINTENDO64と64DDを中心として、様々な製品が繋がる、という構想である。

カセットとディスク

カセットがディスクに対応していれば、カセットとディスクを併用できる。カセットは高価だがアクセスが高速だ。一方ディスクは、安くて大容量である。これらの特徴を生かして、カセットで基本システムを提供し、ディスクで追加のシナリオやマップなどを定期的に安く提供することも可能となる。

実際にはレースゲームの『F-ZERO X』とその追加ディスク『F-ZERO X エクスパンションキット』がこの仕組みを利用した。『F-ZERO X エクスパンションキット』の併用によって、『F-ZERO X』に新たなサーキットと機能が追加される仕組みであった。

ソフト同士の連動

カセットは起動中に抜くと故障の原因になるが、64DDディスクならば起動中でも、アクセス中でなければディスクを挿し換えられる。そのため各ディスクのデータを相互にやり取りできる。『巨人のドシン1』と「チビッコチッコ解放戦線」、そして「マリオアーティスト」シリーズは、この仕組みを使った代表的なものである。

ゲームボーイとの連動

NINTENDO64とゲームボーイカラーを「64GBケーブル」によって接続する構想があった。これは例えば、テレビ画面上では総合的な情報を表示しつつ、各コントローラポートに接続したゲームボーイカラーには各個人の情報を表示することを考えたものだ。つまり、マージャンやトランプゲームのようなことがビデオゲーム上で可能になるわけである。

『DT DD版』は、64DDディスクに収録した多大なデータを、ゲームボーイカラーと組み合わせる構想を持っていた。

しかしこの仕組みは、複雑さと費用をプレイヤーに強いる。後にゲームキューブとゲームボーイアドバンスによって、これとほぼ同じ構想が実現したが、この仕組みを有効に活用したソフトは僅かであった。

64DDの現実

「NINTENDO64に64DDを接続することにより、NINTENDO64カセットと64DDディスクの特長を活かしたソフトが生まれる。NINTENDO64は、64DDを接続することで、初めて完全となる。」……そんな触れ込みが、任天堂系雑誌には書かれていた。64DDは当初、1996年末に発売される予定であった。しかし1997年内→1998年3月→1998年6月→1998年内→1999年6月と延期されていった。

商機を逸する悪循環

ソフトの開発が難航し、64DDの発売に欠かせないNINTENDO64の普及が遅れていた。カセットの充実を図りたい任天堂や、64DDの発売延期に業を煮やした各ソフトメーカーは、64DD向けに開発していたソフトをカセット向けにするなどの策を講じた。それを手伝ったのは、64DDディスクに迫る大容量化とフラッシュメモリ搭載を実現した、カセットの進化であった。そしていつしか64DDには、大容量の保存領域を必須としながらも販売戦略の主力には成り得ない創作系のソフトばかりが残った。64DDの発売は絶望的であった。

ネットワーク端末への転用

完全に商機を逸した64DDであったが、リクルートが会員制ネットワーク端末として利用することで64DDは少数ながらも我々の手に渡る機会を得た。しかし「ランドネット」の始まった2000年は、ちょうどパソコンによるインターネット利用が普及し始めた頃で、ゲーム機を使ったインターネット接続の利点は消えつつあった。また、64DDソフトの客層とリクルートの狙う客層に大きな隔たりがあった。64DDソフトを待ち焦がれてランドネットに入会した会員には、競馬コンテンツの存在が不思議でならなかったものである。

それでもゲームを変えた64DD

結局、殆どの構想が実現しないまま「ランドネット」は1年で終わった。そして同時に、既に亡霊のような存在だった64DDは、いくつかの奇妙な名作を我々に残して、市場から完全に消えた。「ランドネット」の消滅で大きな虚無感に襲われた会員たちを救ったのは、新たなゲーム機向けに続々と発売される『どうぶつの森』や『メイドインワリオ』といった、64DDの存在無しには語れない新作だった。64DDは、ひそかに、しかし確かにゲームを変えたのである。

また、64DDで果たされなかった数々の試みは、ゲームキューブを通り越し、ブロードバンドのインターネットが家庭に浸透した背景を味方につけたWiiでようやく花開いた。昔のゲームをエミュレーションで遊べる「バーチャルコンソール」は、まさにその典型である。そしてWiiの「似顔絵チャンネル」という機能は、『タレントスタジオ』を極限まで簡易化した上で応用したものと言えよう。もはやランドネットの会員にすら忘れ去られていそうな64DDの存在意義は、ニンテンドーDSと並んで任天堂の復活を示したWiiに、かすかに、しかし確かに受け継がれている。